室町時代から江戸初期までの社会用語としては、神社勢力が強訴などの要求を行うための武力である僧衆(江戸時代に僧兵と呼ばれる)も含め、中央もしくは地方政権から非公認の武装勢力そのもの、もしくはそれらが何らかの主張のもと既成の支配体制に対して武力行使を含む抵抗運動を展開している状態を指し、室町時代のそれを国一揆(くにいっき)と言う。
通説的には惣領制が崩壊し、庶子家が独自の動きを取り始めると一族一揆を結ぶことで庶子家との繋がりを維持したが、やがて地縁による国人一揆へと発展したと言われるが、必ずしもそのように単純に移行した訳ではない。
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一般的には血統的正統性や圧倒的な武力を持つリーダーが存在せず「連判状」はんせいに代表される一揆契状に見られるように、局地的には全参加者が平等で民主的な合議制の場合が多く、それ故に迅速で統一的リーダーシップが存在せず、大部分は一時強勢を誇っても内部分裂等で弱体化し、個別に撃破されるケースがほとんどであった。しかし、中には守護など上位者が、地域の中小武士に斡旋して一揆を組織させ、実質上の家臣団として編成する例も見られる。
南北朝時代から室町時代には、関東地方で武蔵七党など中小武士団による白旗一揆、平一揆などの国人一揆が盛んに結ばれる。やがて同属集団である国人一揆から地域集団である国一揆へと主体が移り変わる。国一揆は山城の国一揆、伊賀惣国一揆、甲賀郡中惣など畿内に集中する。加賀国(石川県)では、室町時代に応仁の乱で東軍に属した守護の富樫氏を追放し、戦国時代まで百年近くに亘って一揆勢が共和国的な体制を維持していた最大にして唯一の成功例とも言える。この場合も周辺諸国の事情がそれを許しただけであり、現に事情が変われば瞬く間に内部分裂が起こり、織田信長と対立して敗北した。
江戸時代には幕府が一揆を禁止し1637年の島原の乱以降は一揆は沈静化し、強訴や逃散など百姓一揆と呼ばれる闘争の形態が主流となる。豊臣政権時代より領内の騒擾を理由とした大名改易のケースが現れたため、「領内が治まっていない」ことを公然と示すことができれば、領主側に匹敵する武力を集めずとも、責任問題を恐れる領主や代官への重大な圧力となった。百姓一揆の闘争形態の分類として、代表越訴、惣百姓一揆、村方騒動、国訴などがあげられる。江戸時代後期の天明年間、天保年間には再び広域の一揆が多発する。幕末には世直し一揆、明治には新政府の政策に反対する徴兵令反対一揆や解放令反対一揆、地租改正反対一揆が起こる。